一緒に仕事している伯父さんが もう自分は充分生きたから 明日にでもポックリ逝きたいよ なんて話をよくする
僕はそんな話を聴いて あー ポックリ逝けるなら僕も逝きたいなぁ なんて返事を返すのだけれども 電車の中でそんな話をすると 周りの人がけげんそうな顔をする
死んではいけない 死んではいけない 皆が口をそろえて言う じゃ なんで死んではいけないのか でもそんな事誰も答えられない
何をもって 人は死んだ のかって事も とても曖昧だ
生物として生きる と言う事は脳も内臓も元気でいられる事 生物として死ぬと言う事は生きるの逆の事
じゃあ 人として生きる ってなんだろう? 脳や内臓が元気なら人として生きるって言えるのだろうか? 脳や内臓が元気で無いのなら人として生きるとは言えないのだろうか?
人はエゴの塊だ だが時としてそのエゴさえも強く輝く事もある 生きたいと思うエゴもあれば 生きないというエゴだって有るはずだ
本当は人の心は他人がどうこう言っていいものでは無い(言わないと大変な事になるんだけどね) 死にゆく意味を見つけられたのなら そこを目指すこともまたその人の生きる意味じゃないのだろうか?
変な話だけども 死んでゆく為に精一杯生きる事 だって 人として強く生きた証拠には成り得ないだろうか?
自分のやるべき事を果たした人は 誰にも止める事なんてできないんだ
僕はまだ果たしてない事ばかりなので死ねないけどね