心が苦しいのは 一体何のせいなのだろうか? 一体誰のせいなのだろうか?
それは自分本位な上司のせい? 言う事を聴かない部下のせい? 浮気をしてる恋人のせい?
社会のシステムのせい? 政治が駄目なせい? アメリカが戦争を起こそうとしているから?
きっとそんな事を思う人は そのうち「空が青いのもそいつらのせいだ!」なんて言い出すだろう
世界も 土地も 川も 人も 動物も 社会も 全て全て最初からそこにあったものだ
自分は後から来た新参者であることを忘れてはいけない 何もかも最初から決まっている事で そんなものに不満を感じ心を腐らせるのは 全く ナンセンスであると言える
そう考えると 心が苦しいのは他でもない 自分自身のせいではないだろうか?
苦しいのなら変えてゆこう そうすればいい
ならば 世界を変えるにはどうしたらいいだろうか? 考えたって答えは簡単には出ない
世界は人一人の力でそうそう変えられるものではないのだから
でも世界や世間のせいで 自分の心が苦しかったのなら どうしようもないじゃないか? 死ぬしかないのか?
考えよう どうやっても世界が変わらないのなら 自分が変わるしかないのだ
雨が降っていたら憂鬱 なんて そんな事一体誰が決めたんだろう?
窓辺に腰掛け 雨音を聴きながら ゆったり読書 雨の日だってそんな楽しみ方があるかもしれない

苦しい心は 苦しいと感じて初めて 苦しい心になるのだ
はたから見て どんなに苦しくても 本人が苦しいと感じなければ それは苦しい心にはならない
苦しくったって 悲しくたって コートの中では平気なの
平気なの そう思える事は素晴らしい一歩だ きっと そのうち 苦しくとも悲しくとも 喜びを感じる事ができるときが来るはずだ
世界は あらかじめそこにあったものだけど 心は自分が動かす事ができる
一時 そこが苦しいと感じても 心を自分で変えてゆく術を知る事ができたなら 直ぐに苦しい心から開放されるだろう
結局 自分を救うには自分しかいない 自分自身がそれを素晴らしい事だ と感じなければ何も変わらない
悪いものだけを見て 全ての判断を下すのは簡単だ でもどんな土地にも どんな悪人にも 良い部分はあるのだ
ちっぽけな自分の心が世界の全てだと思う そんな悲しい人生
それは心が苦しい事よりも もっと大きな本当の不幸だ と僕は思う