消える。

とある病院の窓辺、やせた頬の入院患者。うつろな目で窓の外に目をやる。
「あの木の葉が落ちたら… 私の命も…」
なんて… 昔は幸せの箱(TV)のコント番組等でそんな言い回しがベタに使われていた。
しかし落葉樹は葉を落とすのがシステムのひとつなのだから、葉は落とすべきときに落ちるのだ。
治らない病気は治らない(事もないが、)人は死ぬときに死ぬ。いのちのシステム。


当たり前のことを、当たり前と認識した先に希望がある。
いつまでも夢を見させてくれなきゃダメなんだぞ、キャピ!などと乙女回路を暴走させている者は、人生を運にたよるしかなくなる。
夢の終わりに訪れるものは現実だ。いったん目覚めればもう戻れる見込みも少ない。


落ちるものが落ちなければ… もしかしたら もうすぐ死ぬ運命の私も助かるかも… となるのが正しい流れだが、幸せの箱の簡略化思考によって本来の意味が失われたのだろうと思う。


落ちた葉は根を守り、腐葉土となって次の年の糧になる。
無駄なものなど無い。無駄な人間もいない。
生きるべくして生き、死ぬべくして死ぬ。
記憶は残るが、落ちた葉のようにいつか消える。

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